勉強→インテリア→明治時代のインテリア
明治時代のインテリア
約200年続く江戸時代(1603-1868)はあっさりと1ページで終えて、激動の明治以降に入る。インテリアも明治を持って様変わりする。まさにそれはmageであるかのよう。僕らの時代でいえば、仮想現実が目の前にい広がりかけている感じかな。
明治時代 | ||||
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え。 | ||||
洋風建築 | 文明開化。明治時代が開けるとともに眼に見えて工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工となったのが、建築。1877年日本政府がジョサイアコンドル氏を招き、西洋建築を学ばせる。代表作は多々あれど、写真綺麗って思ったので、ニコライ堂をチョイス。他は鹿鳴館、岩崎邸等ある。 | |||
グラバー邸 | 最近もフリーメイソン好きなあの番組で取り上げられていたけれどね。1863年だから江戸時代幕末に竣工されてるんだね。この建物が洋風住宅の先駆け。 | |||
インテリアstudyの中での一大勢力。椅子。これは鹿鳴館の椅子。明治時代以降日本の椅子文化も文明開化する。蒔絵は漆工芸技法だから、コンドルさんが日本文化にはまる様作ってくれていることがわかる。明治政府はいい先生を呼んだね。 | ||||
ちゃぶ台 | 椅子が入って来ても、直ぐに椅子に座れとか無理だし。って明治中期からは床座用ちゃぶ台が庶民宅に普及。 |
勉強→インテリア→数寄屋造
数奇屋造のインテリア
時は進んで江戸時代。今でいうお洒落がお洒落が加速して数寄屋造というものが形作られる。
数寄屋造 | ||||
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え。 | ||||
桂棚 | 桂棚。写真は曼殊院門跡のだけれどね。 |
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霞棚 | 修学院離宮の霞棚。 | |||
醍醐棚 | 醍醐寺三宝院奥宸殿の醍醐棚。上の3つが天下の三名棚、だそうだ。インテリアのクイズでは出ないだろうね。 | |||
数寄屋造 | 数寄屋造。茶室と書院造が合体。わびさびを重んじた空間の数寄屋造。キレイサビを重んじた数寄屋造の2パターンがある。写真は瑠璃光院。キレイサビにあたるのかな。 |
まとめ。
- 書院造+茶室=数寄屋造。江戸時代建築様式。
- 自由な意匠。シンメトリーの排除。
- 丸柱、面皮柱の利用。装飾の排除。自然素材をそのまま利用。今でいうボタニカルだね。
- 角柱利用。絢爛装飾。
勉強→インテリア→続書院造。
続:書院造と城郭建築のインテリア
書院造の続き。鎌倉時代(1185-1333)は2つの建築様式が花開く。その名は
そして庶民の住い。更に安土桃山時代(1573-1603)の城郭建築迄。
書院造 | ||||
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え。 | ||||
方丈記 | 方丈ってのは1丈四方で4畳半の広さのこと。で、此処に住んでいたのが僧。禅宗の寺院の中に造られていた。 | |||
東求堂同仁斎 | これが初期書院造。4畳半なんだよね。 | |||
この時代の庶民の暮らしは商人が中心になって街を発展させる。屋根は板葺となり、その上に石を置いていた。これを卯建という。壁は土壁だった。 | ||||
破風の重箱じゃん?って位のオンパレードなこの写真は白鷺城こと姫路城。
が特徴。 |
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織田有楽さんの如庵。もう一つ有名な茶室は千利休さんの妙喜庵待庵。 | ||||
下地窓 | 下地の格子状の竹を見せた窓。 | |||
出入り口。60-70cm。狭い理由は挨拶せぇよってのと、お茶すんのに刀いんの?って感じっぽいけれど。 | ||||
まぁ流石に誰にでもってわけにはいかない。 | ||||
3/4の大きさの畳。 | ||||
かけこみ天井 | 勾配天井+平天井=かけ込み天井。 |
建築→インテリア→書院造(建具)
書院造の建具
書院造の建具 | ||||
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え。 | ||||
木割 | 違い棚とかも含め、書院造は大体こういう寸法でって決まってたんだね。それは木割って手法。柱間が6尺3寸(1970cm)って決まっていて、違い棚の棚幅は0.25cmとかとか。 その木割は中国の規矩術がルーツ。 ここで木割を重視しているのは後々出てくるモジュラーコーディングに繋がるから。といっても、発明されたのは20世紀だから約400年後の話。 |
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明り障子 | 鎌倉時代に |
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畳 | 平安時代式可動式畳も次第に敷き詰められるようになる。座敷って言葉は座具を敷いた部屋を意味していたけれど、武家住宅で宴会部屋をさすようになる。 |
勉強→インテリア→書院造
書院造のインテリア
平安時代、寝殿造が始まり中世を経て室町時代に改変される。そして安土桃山時代に書院造として一つ屋根の下に収まるようになっていく。時代背景としては、今度NHKの大河ドラマで行われる井伊直虎が躍動する、室町時代から安土桃山時代にかけて。
書院造 | ||||
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え。 | ||||
武家屋敷住宅図 | 棟という考えから一軒家って考えになっていく感じ。 | |||
この時代には、今でいう応接室が作られている。これが晴れの場所。反対に |
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天井 | この時代は天井でも格が決まってくるみたい。 |
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床:お椀が乗っている側の壁。仏画鑑賞用。鎌倉時代に花瓶、香炉、燭台の三点セットを並べていたみたい。名前は 付書院:左の金色の部分。床の廊下側につけることがルール。元来は坊さんの書斎として用いた |
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違い棚 | 付書院と反対側に置くのがルール。東求堂、同仁斉のが最古。器、文房具を飾ってたみたいだけれど、地震大国だからね。日本。座敷飾り化しましたとさ。 | |||
違い棚の横。付書院の前に位置する引違戸の装飾。 | ||||
小壁:障子の上。小壁という、または張付。 上段框:身分違いの視覚化だね。上からモノ言うなってやつ。 |
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障子。昔は明障子って言ってたそうな。 |
まとめ。
- 接客空間の登場。
- 天井張りと畳の登場。
- 部屋用途の明確化。
- 座敷飾りの発展。
- 角柱で統一。
あ!ついでにもう一つ室町時代に流行った言葉を紹介しないといけない。
いつの時代もやっぱり落ち込む人はいたりした。その時に頼りになるのは神様だったり、恋人だったりするのかもしれない。それでもそれにすがれないって人がいて、その人たちが頼った言葉があったらしい。その証拠となるVTRが発見されたので紹介しておこう。
勉強→インテリア→住宅様式変遷(近世)
住宅様式変遷
住い手/時代 | 近世 | |||
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安土桃山 | 江戸 | |||
貴族 | ||||
武士 | 改変→書院造 茶室→影響 ↳ |
書院造 →数寄屋造 |
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庶民 | 町屋 | 町屋 | ||
民家 | 民家 |
時は近世、1573年-1868年の時代。
貴族というカテゴリーはなくなり武士が全盛となる。
安土桃山は寝殿造が書院造となる。この時点で昭和に言葉として出る食寝分離のカタチが見て取れる。
江戸時代に書院造は茶室とブレンドされ数寄屋造と名前を変える。
変わったのは武士文化のインテリア。