勉強→インテリア→ローマ時代
西ヨーロッパのインテリアその2
そしてローマのお話。
古代ギリシャとローマ | ||||
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え。 | ||||
パンテオン | この時にコンクリートは発明されていて、それはローマンコンクリートと呼ばれている。ドーム内径43mとかとか。 | |||
アーチ | 写真は |
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猫 | じゃなくて、マクセンティウスのバシリカ。当時として最先端の技術をつぎ込んだ建築物。その中に筒型ヴォールト(かまぼこ型の曲面天井)がある。 | |||
クーポラ | ドームのこと。写真はドムスアウレア。 |
まとめ。
- コンクリート、アーチ工法。
- 巨大な内部空間を持つ建築物の大量生産。
古代ギリシャ・ローマのインテリア
西ヨーロッパのインテリア
ちゅうもーく。次のインテリアの歴史は西ヨーロッパ。地図は大まかに此処。提供はグーグルさん。
西暦は大体紀元前7世紀位から西暦500年位迄の話。古代ギリシャからローマのお話。
古代ギリシャとローマ | ||||
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え。 | ||||
パルテノン神殿 | 大理石を中心に建築。 | |||
イオニア式オーダー | 写真はニーケー神殿。遠いけれど、柱の上が羊の角みたいにくるってなってるのがイオニア式。 | |||
ドリス式オーダー | パルテノン神殿。基本。エンタシス(上方を細くして中央にわずかなふくらみをもたせたもの)を持つ太い柱が特徴。 | |||
コリント式オーダー | ゼウス神殿。装飾がアカンサスの葉。 | |||
クリスモス | 椅子。後で悪夢のように襲ってくる椅子。 あ、古代ギリシャで使われていた椅子ってこと。 因みにクリスマスとモスバーガーを合わせたクリスモスが出てきてイラッとしたのは内緒デス。 |
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クリーネ | 流石に寝椅子は出てこなかった…。 あ、寝椅子。クリーネはねいーす。 |
まとめ。
- 建築物は大理石造り中心。神殿が代表的。
- オーダーはイオニア、ドリス、コリントの3種類を覚えればいいかな。
- 家具は機能的に。
そいえば、今神戸で特別展 古代ギリシャ ー時空を超えた旅ー。がやっている。下で走っている?滑っているのはスクリプト見ると女性らしい。
勉強→インテリア→昭和
昭和のインテリア
昭和は果てしなく激動。今、こんな風に普通に生活できるのは先人たちの努力の賜という言葉でも足りないくらいなんだと思う。色々な技術を取り込んで今のインテリアとこの国がある。
ただ、インテリアの問題としては人に焦点があたりそう。
昭和 | ||||
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え。 | ||||
「生活を基礎として作る生産工芸家具」を目指して組織。蔵田周忠、豊口克平。 | ||||
木のめ舎 | 乙女系家具って感じかな。ロマンス。森谷延雄。 | |||
工芸指導所 | 産業育成の指導所。ブルーノタウト、シャルロットベリアン。 | |||
民芸運動 | 伝統的民族工芸の保護・育成を目的として展開。柳宗悦。 | |||
モダニズム建築家 | 東京文化会館。ル・コルビュジェの弟子。前川國男。 | |||
立体最小限住宅 | 戦後、食寝分離等を含めテーマ性を持った住宅設計を目指した。池辺陽。 | |||
東京都庁 | 東京都庁、国立屋内総合競技場設計者。丹下健三。 |
と、いう事で日本の歴史はおわり。次は海外編。
勉強→インテリア→大正
大正時代の建築史
時は更に遡り大正時代(1912-1926)。時は短いけれど、関東大震災(1923)が建築の方向性を変える。
書院造 | ||||
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え。 | ||||
生活改善同盟 | 1919年:文科省主導主導で、生活改善同盟が推進。西洋の近代建築運動が紹介され、日本もそうなろうぜって空気を促す。 | |||
和洋折衷住宅 | 何ていうか、目的がなく和も洋も取り入れてみましたが的なごった煮。 | |||
中廊下式住宅 | 和風住宅内に洋風の建築を取り入れる中流階級が増える。 | |||
同潤会 | 関東大震災により建物の不燃化を目的とした建築が急務となる。1924年に被災者救済のために財団法人同潤会が設立される。写真は同潤会青山アパート。日本初の本格的鉄筋コンクリート造アパート群のひとつ。 | |||
旧帝国ホテル | 1919年。フランクロイドライトさんとアントニンレーモンドさんが建設したホテル。 |
勉強→インテリア→明治時代のインテリア
明治時代のインテリア
約200年続く江戸時代(1603-1868)はあっさりと1ページで終えて、激動の明治以降に入る。インテリアも明治を持って様変わりする。まさにそれはmageであるかのよう。僕らの時代でいえば、仮想現実が目の前にい広がりかけている感じかな。
明治時代 | ||||
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え。 | ||||
洋風建築 | 文明開化。明治時代が開けるとともに眼に見えて工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工となったのが、建築。1877年日本政府がジョサイアコンドル氏を招き、西洋建築を学ばせる。代表作は多々あれど、写真綺麗って思ったので、ニコライ堂をチョイス。他は鹿鳴館、岩崎邸等ある。 | |||
グラバー邸 | 最近もフリーメイソン好きなあの番組で取り上げられていたけれどね。1863年だから江戸時代幕末に竣工されてるんだね。この建物が洋風住宅の先駆け。 | |||
インテリアstudyの中での一大勢力。椅子。これは鹿鳴館の椅子。明治時代以降日本の椅子文化も文明開化する。蒔絵は漆工芸技法だから、コンドルさんが日本文化にはまる様作ってくれていることがわかる。明治政府はいい先生を呼んだね。 | ||||
ちゃぶ台 | 椅子が入って来ても、直ぐに椅子に座れとか無理だし。って明治中期からは床座用ちゃぶ台が庶民宅に普及。 |
勉強→インテリア→数寄屋造
数奇屋造のインテリア
時は進んで江戸時代。今でいうお洒落がお洒落が加速して数寄屋造というものが形作られる。
数寄屋造 | ||||
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え。 | ||||
桂棚 | 桂棚。写真は曼殊院門跡のだけれどね。 |
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霞棚 | 修学院離宮の霞棚。 | |||
醍醐棚 | 醍醐寺三宝院奥宸殿の醍醐棚。上の3つが天下の三名棚、だそうだ。インテリアのクイズでは出ないだろうね。 | |||
数寄屋造 | 数寄屋造。茶室と書院造が合体。わびさびを重んじた空間の数寄屋造。キレイサビを重んじた数寄屋造の2パターンがある。写真は瑠璃光院。キレイサビにあたるのかな。 |
まとめ。
- 書院造+茶室=数寄屋造。江戸時代建築様式。
- 自由な意匠。シンメトリーの排除。
- 丸柱、面皮柱の利用。装飾の排除。自然素材をそのまま利用。今でいうボタニカルだね。
- 角柱利用。絢爛装飾。
勉強→インテリア→続書院造。
続:書院造と城郭建築のインテリア
書院造の続き。鎌倉時代(1185-1333)は2つの建築様式が花開く。その名は
そして庶民の住い。更に安土桃山時代(1573-1603)の城郭建築迄。
書院造 | ||||
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え。 | ||||
方丈記 | 方丈ってのは1丈四方で4畳半の広さのこと。で、此処に住んでいたのが僧。禅宗の寺院の中に造られていた。 | |||
東求堂同仁斎 | これが初期書院造。4畳半なんだよね。 | |||
この時代の庶民の暮らしは商人が中心になって街を発展させる。屋根は板葺となり、その上に石を置いていた。これを卯建という。壁は土壁だった。 | ||||
破風の重箱じゃん?って位のオンパレードなこの写真は白鷺城こと姫路城。
が特徴。 |
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織田有楽さんの如庵。もう一つ有名な茶室は千利休さんの妙喜庵待庵。 | ||||
下地窓 | 下地の格子状の竹を見せた窓。 | |||
出入り口。60-70cm。狭い理由は挨拶せぇよってのと、お茶すんのに刀いんの?って感じっぽいけれど。 | ||||
まぁ流石に誰にでもってわけにはいかない。 | ||||
3/4の大きさの畳。 | ||||
かけこみ天井 | 勾配天井+平天井=かけ込み天井。 |